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蛇香と桜麗が探索に出ていた頃、ある洞窟で女が一人奥の部屋へと向かっていた。
その手にはお膳が携えられている。そして、ある部屋の扉につくと声をかけた。
「イザナミ様、誠妃にございます。今日のお食事を持って参りました。」
「入れ。」
そばに控えていた黄泉醜女がスッとお膳を受け取りイザナミへと持って行く。
顔を伏せじっと待っていた誠妃だったがふと声がかかった。
「誠妃。妾には他の者たちがついておる。休んでもかまわぬぞ。」
「せっかくのお言葉ですが、私は大丈夫でございます。なんなりとお申し付けください。」
「ほほっ。そなたは律儀じゃのう。」
イザナミが蘇ってから数日、誠妃はイザナミ付きを命じられたまま何の任務にも就いていない。
それとは対照に古影は忙しそうに動き回り、最近はほとんど姿を見かけていない。
殊撞は自室にと引きこもり、なんらかの儀式を行っているがそれがなんなのかはわからなかった。
そして今後のことすらも教えてもらっていない。
誠妃の話し相手になってくれたのは、暇をもてあましていたイザナミだった。
彼女もまたこの先の計画を知らず、ただ時期を待てと言われただけ。
最初の印象はただ恐ろしかった。しかし、日を追うごとに彼女が何よりも優しいことに気づいた。
それは国造りの神として、神々の母であった姿故に感じる思いかも知れない。
イザナミは徐々に力を蓄えていき、自分の力などすでに通じはしないだろう。
けれど、イザナミは誠妃がそばにいることを望んだ。誠妃のことを気に入っていたから。
ある時は夫との平和な時代を語ったかと思うと、その数秒後には夫の裏切りをなじるという不安定な方ではあったが、いつしか望んで彼女のそばにいるようになった。
「そういえば前から尋ねたいと思うておったが、そなたは何故殊撞に従っておる?
古影のように古くからの部下というわけではないな。」
「そのことでございます。…私は殊撞様に助けられた恩義がございます。
それに人に恨みを抱いた私に復讐の道を指し示してくださったのです。」
寝台に寝そべるイザナミが楽しそうに笑い出す。
イザナミと殊撞は仲間ではなく同盟者といえる。
イザナギへの復讐の代わりに都を滅ぼす。都を滅ぼす代わりにイザナギへの復讐を手伝う。
その契約がなければ、殊撞と自分は敵同士といっても良い。
「人への怨み…か。恋しい者でも殺されたか、それとも故郷を奪われたか?
よくある話じゃ。古の頃と違い、人は神を敬わぬ。もはや我らは必要ないのじゃ」
「ええ、そうでございましょう…けれど、私は何も覚えてはいないのです。
私が覚えているのは…人への強大な憎悪のみ。」
目覚めた最初の記憶は暗い闇。そこはとても暗くて、何も見えなかった。
自分が生きているか死んでいるかも信じられず、ただ闇にその身をゆだねた。
望みはただ一つ、眠ること。その眠りはすぐに破られたけれど。
聞こえたのは誰かの声、そしてそれは私に囁いた。
『人が憎くないのか。』
その一言で思い出した。私は…人が憎い。
「名も忘れた私に、殊撞様は新しい名をくださいました。
そして人への恨みを晴らすために力をかせと…私は従うことにしたのです。
けれど、戦いごとに向かぬ私では結界崩しぐらいしか役に立つことがありませぬ。」
「それは当たり前じゃ。そなたは破壊よりも守護のほうが強い。」
「え?」
そう言うと、イザナミの白く細い指が誠妃の顔に触れる。
とても愛しそうになでつけた。
「イ、イザナミ様?」
「そなたは天津神。おそらくは地方を守護していた土地神じゃよ。
いくらそなたの魂が侵されようと、そなたの本質は変わりはせぬ。
あやつ、なかなかやりおるわ。」
「な、何のことでございますか…。」
そう言いつつも、体の震えは止まらない。否、これ以上は聞いてはいけない。
思い出してはいけない。たとえ、心のどこかでそう考えていたとしても。
本当は気づいていた。殊撞が自分のことを駒としか見ていないことを。
「珠撞がそなたを操ったに決まっておるわ。」
気づかない方が、知らない方がまだ幸せだったのだろうか。
けれど、知ってしまったらもう戻ることは出来ない。
「そ、そのようなこと…ありえませぬ!」
「否定するか?それでもよい。妾は感じたことを言うただけ。
そなたを直接関わったのかは知らぬが、何か知っているのは確かじゃろうな。」
「…」
見ると、誠妃は手を握りしめている。
わずかに血がにじんでいるのを気づいていなかった。
「黄泉醜女。誠妃の手の治療に当たれ。
それと、気分を晴らしに外へでも連れて行って参れ。」
「御意」
背後から1人の女性が忍び寄ってきた。その顔は普通の女性と何ら変わりがない。
声をかけるわけでもなく、包帯を巻き終えると呆然とする誠妃をどこかへ連れて行った。
「珠撞が何を企んでいるのかは知らぬが、踊らされるのも癪にさわるのう。
妾は道具ではない。それに、誠妃は妾のお気に入り。
どうせなら真名を知りたいものじゃ」
なにやら思案していたイザナミは、ふと手の扇をならす。
「八雷参れ」
瞬時に八人の男達がイザナミの前に現れる。同じ衣装と同じ太刀を携えたイザナミの兵士。
古事記にはこう記されている。
イザナギが黄泉でイザナミと再会し、彼女はイザナギを待たせて告げる。
“決して見てはなりませぬ”しびれを切らしたイザナギは彼女のあとを追いかける。
そこで見たのは体が腐り始めているイザナミと彼女にまとわりつく八柱の神。
『頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には拆雷居り、
左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、并せて八はしらの雷神居りき』
「誠妃に関わる者を探し出せ。妾の前に連れてくるのじゃ。生かしてな」
「御意」
忠実な兵士達はすぐにどこかへと消えていった。
そして残されたイザナミは、誠妃と共にどこかへ遊びに行くことを考えていた。
「ありがとう。ここでいいです」
「おそばにおりましょうか?」
「いいえ、しばらく1人にさせてください」
誠妃が連れてこられたのは小さな川辺。
水の音が絶え間なく響き、喉を潤す動物たちの姿が見えた。
いつのまにか黄泉醜女の姿はない。
ぼんやりと川辺を見つめながら、ずっと考え込んでいた。
(妾は騙されている…?あの殊撞様に…?)
あり得ない話ではない。否、それどころかわかっている。
殊撞が部下を道具と、駒としか見ていないことは誰よりも知っている。
けれど人を憎み、恨んでいた自分を拾い上げてくれたのは本当だった。
だが…そのときふと何かの声が聞こえてしゃがみ込んだ。
『どうして人を恨んでいるの?』
また聞こえた。いつの頃からか聞こえ始めた。私の中の私が囁く声。
それは最初はとても弱々しくて、ほとんど無視することしかしなかった。
けれど、あの日。貴船であの男に出会ってからその声はよりいっそう強くなっていった。
私が疑問を感じたとき、悩んだときにその声は確かに聞こえた。
ふと、あることを思い出した。
『あんたは…死んだはずだ!』
私は死んでいる。あの男はそう言った。初対面のはずなのに。
でも…なぜだろう。私は彼を知っている。
『そう、彼は生まれて間もない蛇神だった。』
『名前を付けてあげるころ、あの事件が起きた。』
「!!!!!!」
その言葉を振りか祓うかのように、手を壁にたたきつける。
手当てしてもらった箇所からまた血が流れたが、それに気づくことはなかった。
(妾はあの男を知っている?覚えていないはずなのに。)
それは確信めいた物。自分は確かにあの男を知っている。
もう一度会えば、きっと何かがわかるはず。
「そなたは誰…妾を知っているの?」
封じられていた心に、小さなヒビが入った。
けれど、それは悲しい別れを告げる合図でもある。
誰にも知られることなく、確かに始まった。
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