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一人の男が天使にであった(改訂)

 気がついたとき、男は一人だった。ふと、周りを見渡すと、そこは何もなかった。
 あるのは暗く、冷たさすら感じるほどの不気味な黒の世界。 あの懐かしい黒と全く違う異質な黒。
 音すらも飲み込むような静寂の中で男は立ち尽くしていた。
 あたりに人の気配はなく、ただ、男が一人でいることが当然であるかのように闇だけがそこにあった。遙か彼方に、かすかな光を携えながら。
        
 ・・・・・・俺はなぜここにいる?
 何度尋ねてみてもその答えは返ってこない。答えを求めて、暗闇の中をひたすら歩いて行く。目指すは前方の光、そこまで行けば何かわかるかもしれない。
 なぜ、ここに一人でいるのだろう。なぜ、ここはこんなにも暗いのだろう。頭の中に広がっていくかすかな違和感。そこまで考えて、一つの答えにたどり着いた。
 ・・・・・・俺は誰だ。
 いくら考えても、自分の名前が思い出せない。
 性別は男。若いと言うほどではないが、年寄りと言うほどではないはずだ。なにしろ、周りが暗すぎて自分の姿すら、はっきりしない。
 それでも、かすかに見えるあの光目指して、そこに答えがあると信じて歩き続ける。
        
 どのくらい歩いただろうか。気づくと、あの光はもう目の前にあった。それは光と思っていた。けれど、近づい
みてわかる。これはもっと別な物。
『これは、羽根か?』
 目覚めてから最初に口に出した言葉。なぜか変だと思った。今のは本当に俺が言った言葉なんだろうか。
 考えていても仕方がないと、落ちていた一枚の羽根を手に取る。淡い光を放つ純白の羽根。こんな鳥がいるのかと思いつつも、詳しくない自分では答えが出せない。
『あいつらだったら、わかるかもな』
 無意識に口に出した言葉、それに気づいたとき、また新たな疑問が浮かんでは消えていく。
 ……あいつらとは誰だ。俺は誰のことを言っていた?
 いくら考えても、出ることのない答え。男は髪を乱暴にかき上げて、右手の中の羽根を見る。先ほどの光は少しずつ弱まっていた。まるで役目を終えるかのように。
 少しずつ羽が崩れていく。羽根の欠片は小さな輝きを残しながら、闇の中へ消えていき、最後の欠片もあっという間になくなってしまった。
『消えちまったか。もったいないな』
 光る羽根を見た珍しさよりも、その羽根を失ってしまったことの方が悲しい。しばらくの間、そこにいると誰かの声がした。
『……あなたは、だあれ?』
 男か女か、どちらともとれるようなその声。子どもかと思いつつ、後ろを振り返る。
 そこにいたのは、一人の少女だった。
 薔薇のような深紅の髪は、無造作に足下に広がっている。あまり、手入れはされていないのだろう。そのツヤは色あせている気がする。
 どこか人形めいた表情を浮かべて、オレンジの瞳がこっちを見ていた。
 身にまとっているのも、穴が開いたり、裾がほつれている白いワンピース。浮浪児にしては服が高級そうで。かといって、金持ちの子どもにしては服がぼろというのはおかしい気がする。
 やわらかな両腕の中には、少女とよく似た赤いワンピースの人形が抱きかかえられていた。
 そこまで見て、ようやく気づいた。この暗い世界の中、なぜこうもはっきり彼女が見えたのか。少女の足下には、さっきの羽根と同じ羽根が敷き詰められていた。それがこの暗い場所を仄かに照らし出す。その光景は、どこか美しく、そして悲しかった。
『……俺か? 俺は―』
 その先が出てこない。当たり前のはずの言葉が言えない。少女に名乗るための名前すら、今の俺は持っていない。
 俺が口をつぐんだのを見て、少女はあまり表情を変えることなく、かすかに口元をほころばせて見せた。もしかしたら、この少女は表情を出すのが苦手なのかもしれない。
『……無理に、思い……ださなくても……いいよ』
 一つ一つ、確認するかのように紡がれる言葉は、どこかかすれながらも、凛とした響きを見せていた。声に障害があるのか、それとも言葉を忘れているのか。
 『いや、きっと思い出す。だから少し待っててくれ』
 そう言うと、少女は優しく笑って見せた。けれど、その笑みがどこか壊れているような気がする。
『……うん、あと……でね……時間は…あるから……大丈夫……』
『悪いな、お前はなんていう名だ?』
『私?』
 きょとんと首をかしげてみせて、どこか困ったような笑みを浮かべる。この少女はあまり表情を作れないのかもしれない。そんな仕草がどこかの誰かを思い出させる。相変わらず、その誰かがわからないが。
『……私……名乗れない……ごめんなさい……』
『いや、こっちも名乗れてないからな。お互い様ってことで気にすることはない。
『それにしても、ここはずいぶん明るいな』
 辺りを見渡すと、先程の羽根が今なお光り続けている。さっき手にした羽根はすぐに崩れてしまったが、落ちている羽根は形を保ったままだ。
 俺の視線に気づいたのだろう。少女はその指を下に向ける。
『……あなた、これが見える……の?』
『見えるだろ。こんなにはっきり光ってるんだから』
 それを聞くと、少女は悲しそうにその笑みを閉ざす。
『生きてる……人には……見えない……死んでいる人……だけが……その羽根を見る。……私の……羽は……穢れているから』
 その言葉と同時に、少女の背中から一対の羽が現れる。雪のように白く、仄かに光り輝く白い羽。けれど、どこかその羽は痛んでいるようで、力のない羽ばたきが辺りに響く。その羽からまた一枚の羽根が落ちていき、床に敷き詰められた。
 少女から羽が生えたことよりも、別のことに気が取られる。今、なんと言った? この羽は誰にしか見えないと?
『ちょっと待て、ということは俺は……死んだのか』
『そう……あなたは死人』
 その言葉に、俺は忘れていたことを思い出した。いつものように、取り立ての仕事にやってきたのは誰だった? 俺の元にやってきた男に、向けられた刃が貫いたのは誰だ? 
 ああ、こんな簡単なことを忘れていたのか。
『……思い、だせたんだね…・・』
 少女の、無機質な声が響いた。
『ああ、そうだな。まったく、こんなことを忘れるとは。…それにしても、ここはどこだ? 天国へ行けるような善人ではないと、思ってはいたが。かといって、ここは地獄にしては妙なところだ』
 どこから、羽の羽ばたき音が聞こえてくる。少女が、そのか弱い翼を広げ、俺の元へ一歩飛んできた。
『……天国でも…地獄でも……ない……ここは私の……世界。そして……私の唯一の……世界』
『お前の世界? 何だって、俺はそんなところにいるんだ?』
 少女は、その問いに顔を伏せる。紡がれた言葉は、どこか淡々と無機質な物で、必死に答えを探しているようだった。
『……あなたの……死の、きっかけは……私。あのとき……私が……あの人たちから……逃げなかったら……あいつらと……関わらなかったら……あなたは……死ぬことがなかった……』
 少女は、震える体を両手で抱きしめる。迫り来る恐怖から、必死に守ろうと。
 けれど、それでもなお少女の瞳からはうっすらと涙が浮かんでいる。
『……ごめんなさい……』
 震えながら、それでもまっすぐにその瞳が俺と合う。罪からは逃げないと、その瞳が告げる。そのオレンジの瞳に、深紅の髪が俺の記憶を呼び起こされる。
『お前、もしかしてあのときのやつか?』
 忘れていたはずの記憶が、少しずつ蘇っていく。あいつから相談を受けて、その相手がどんな奴か見たくなって、こっそり跡をつけた。そこで見たのは、この少女とよく似た、いや、こいつ自身。まるで印象が違うが、同一人物だとわかる。
 一方的に言い寄られていて、甘ったるい関係とはほど遠かったが、あいつが笑っていたから、良いことだとは思っていたんだがな。それでわかった。仲間以外で、あいつがやつらと関わった理由が。
『そうか、あいつはお前を助けたんだな』
『ええ……ごめんなさい……』
 もう、先程の涙は見せていない。泣く資格など、ないと知っているように。けれど、なぜかこの少女に泣いて欲しくないと思ってなにも言わなかった。
『それで、俺が死んだことに、お前が関係してるのはわかったんだ。だが、肝心の俺がなぜここにいるのかがわからないんだが』
『……私は……本来……人に……関わることは……許されない……そう決まっている……でも、今は……そう言ってられない……人に……関わり……まだ、寿命ある人の……未来を……断ち切ってしまった……それは許されない……こと』
 また、羽が羽ばたく。その姿はどことなくあの話を思い出させた。人の似姿に白い羽。神に仕えし御使いにして、人を見守るものたち。人は、その御使いを“天使”と呼んだ。
『だから……あなたを呼んだ……正しい生に戻すために……』
『要するに生き返らせるって事か?』
『……今はまだ……無理だけど……私は約束は……守る。もし、あなたが……それを望まない……なら、このまま……眠らせてあげる……』
『いや、悪いがこのままあの世行きはまっぴらだ』
 頭を掻き上げて、考えるのはこの世に残してしまった家族たち。俺の死を知ったのか。リリア。ジョゼ。ユーリィ。俺は伝えたいことがあるんだ。照れくさくて今まで言ったことなんざないが、それでも伝えたい。
 あいつらはどうしてるんだ? 血の気の多い奴ばかりだ。 俺が死んで無茶なことをやらかしてなけりゃいいが。普段から好き勝手してばかりだってのに、俺が見ていないと何をやらかすかわからん。おまけに目の離せないあいつがいる。
 最後に見たあの薄青色の空。それと同じ瞳をもったあいつ。お前は俺が死んで何を思った? なあ友よ。
『……そう、なら……いい』
 懐かしい顔を浮かべて浸っていると、あの少女の声が聞こえた。それに気がついて前を見ると、少女はとても嬉しそうな笑みを見せていた。
 先程までの壊れたような笑みとは違い、とてもとても嬉しそうな、嬉しくてたまらない笑顔。心から浮かべる笑顔。ああ、こっちのほうがいいな。先程までの笑顔より、今の方が少女にはよく似合う。
『それとな、お前さんに一言言っておくことがあるんだが』
 もう少し、この笑顔を見ていたかったが、一つだけどうにも言っておきたいことがある。
 思い当たることがないのか、少女は首をかしげていたが、それに構うことなく俺は言った。
『俺はお前を恨んでなんかいない』
 少女は先程の笑みを消して、俺を見据える。何かを言うこともなく、ただ俺の言葉を待っていた。
『お前がなんであいつ……アジアンに助けられたかは知らんが、俺はお前たちを攻めるつもりも恨み言を言う気もない。無様にやられた俺にも責任があるし、アジアンがそうしたことをせめるつもりはない』
 あいつは今なにを思っているだろう。無力に苛まれているのか。昔とった行動を悔やんでいるのか。思うのは勝手だ。過去は変えようがない。変えれるはずがないんだ。何をしたって無駄だ。あるのは目の前の無残な現実だけ。だから頼む。頼むから否定するな。それは俺の死を無駄にすることだ。
『……なんで……なんとも思わない……の?』
 長い沈黙の中、少女が発したのは疑問の言葉。わからない、と彼女は言った。そんな目にあって、恨むこともせず相手を思えるのはなんでだと。
 たいそうな話なんかじゃない。ただ、あいつは俺の友で、あいつもそう思ってくれるなら、それだけでよかったんだ。なあ、俺の死はお前に何かをもたらしたのか? 
『俺のほうが、まだ借りが多くてな。なに、この際まとめて借りを返したと思えばいい。だから、気にするな。お前のせいじゃない』
 一歩近寄って少女の頭を撫でる。少女の瞳が、どこかの誰かを思い起こさせた。ああ、出会ったころのあいつに似ている。どこか不器用で、ひねくれたあの子どもに。
『それに、お前は俺を生き返らせようとしている。一度死んだ俺にチャンスをくれようとしている。それで十分だ』
『……きっと……きっと守るよ……私は……嘘を……つくけれど……約束は……約束は……絶対に……守るから……“薔薇のマリア”の名において……絶対に』
『それがお前さんの名前か?』
 薔薇のマリアと名乗った少女は、俺の問いかけに首を振る。それは違うと。それは自分のものであってそうではないと。
『元……は確かに……そうだった……けれど、今の……不完全で凍り付いた……私が……その名前を……名乗ることは出来ない……好きに……呼んで』
『そうだなあ……アンジュでどうだ?』
『アンジュ?』
『天使って意味の古い言葉だ。子どもらに読んでやった本に出てきた。それでどうだい、アンジュ』
『うん……それでいいよ。ありがとう』
 アンジュという名をもらった少女は、どこか嬉しそうにその名を何度も口ずさむ。それはとてもかわいいと思える光景だった。
『それで?俺はどうしたらいい? 正直やることがなくて暇なんだが』
『……まだ私は……本来の私に……戻るどころか……表にすら……あまりでれない……しばらくは……ここにいてほしい……でもあなたが……表を見に行くのは……出来る……たぶん……あなたの姿は見れないけれど』
 本来の私とやらが何を意味するかはわからないが、俺が以前見に行ったマリアローズと関係があるのだろう。確か、アジアンが呼んでいた名前がそうだった。
 この少女とうり二つ。それが何を意味するか、今の俺にはまだわからない。
『それはありがたいな。正直、様子を見に行きたいとは思っていた。そうとわかりゃ、さっそく様子を見に行ってくるとするか』
 外への行き方を教えてもらおうとしたとき、少女が俺を引き留めた。
『それと……お願いが……あるの』
『なんだ?』
『私は……外での私は……とても弱い……私の中のもう一人……彼女も……私を守ってくれるけど……彼女は……いつでも……出てこれるわけじゃ……ない』
 アンジュは腕の中の人形を強く抱きしめていた。まるで、その人形だけが味方とでも言っているようだ。
『その代わりに、お前を守ればいいのか?』
『……ごめんなさい……本当は……巻き込むつもりは……なかった……でも……そうは言ってられない……それに……あなたなら……彼も耳を傾ける……あなたは……彼の……仲間だから』
『いいぜ。大家の言うことは聞いておいたほうが利口だからな』
『フフ……よろしくね……ねえ、名前……教えて』
『俺か? 俺の名は――』
『…これから、よろしくね……ボディガードさん』
       

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