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あたたかな雨

        
    雨には良い思い出がない。
        けれど、あのときの雨はどこか暖かかった。
        あのまま過ごしていたら何かが変わっていただろうか。
        違う。やっぱり変わらない。あの人のそばにはいられない。
        でも、あのときの優しさは確かに本物だった。
        僕にとっても、あの人にとっても唯一間違っていたのは。
        お互いのことを思いきれていなかったこと。
        そして・・・僕があの人を信用できなかったこと。
       
       
        「マリアンヌ。買い物に行かないかい?
        必要なものがいくつかあるんだが、ついでに日用品も買ってこよう。」
        「買い物ですか?ええ、かまいません。
        ついでに夕食の材料も買えばよろしいですね。」
        「今日はシチューでも食べたいところだね。マリアンヌは何が良いかな。
        …おや?今日は雨かな。ずいぶん雨音が強いようだ。」
        「傘をさせば問題ないと思います。
        夕食はシチューとパンにしましょうか。」
        「そうしてくれるかい?
        それにしても雨が降るのは久しぶりだね。
        君と出会った日にも雨が降っていたかな。」
        「…よく覚えていらっしゃいますね。
        もう一月前のことですのに。」
        「印象深かったからね。
        覚えているかい?君は雨の中で一人っきりだったね。
        目の見えない私にとっては、雨は肌に感じることの出来る天気だ。
        そんな日に一人うずくまっていた君が、なぜか見捨てれなかった。」
       
        …確かに、忌々しいことによく覚えている。
        伯爵が死んで自由になって、でも友達は生き返ることがなくて。
        憎悪も怒りも悲しみも確かに感じていたのに。
        その対象がいなくなったとたん、どうしたらいいのかわからなくなった。
        そんな時助けてくれたのがこの人だった。
        正直、何も出来ない子どもに働く場所と住む場所を提供してくれたのはありがたかった。
        …でも、どこか信用できない自分がいる。
        わかっている。自分が彼に嘘をついているからだ。
        性別も…名前も。
        伯爵がつけた大っきらいな名前。
       
        「マリアンヌ?どうかしたかい。」
        「いいえ、なんでもありません。ヴィンセントさん。」
       
        ザアァァ………
       
        買ってもらったコートに身を包み、二人で傘を差して並んで歩く。
        彼は一人で歩いて平気だと言うけれど、念のために一歩前に歩く。
        決して横には並ばない。
       
        「すまないね。ぼくと一緒では歩くのに時間がかかるだろう?
        家ならともかく、やはり外では歩きづらい。」
        「いえ…大丈夫です。そう、急ぐことではありませんし。」
        「そうだね。
        それとも、きみと一緒に歩ける時間が増えて嬉しいといったら君はどうする?」
        「え…?」
        「いや、今のは忘れてくれ。」
       
        そう言って何もなかったように歩く。
        たまに、この人がわからないときがある。
        盲目のはずなのに、なんだか見透かされている気がする。
        僕の隠していることも。
        自分でもよくわからない想いも。
       
        「…雨。やみませんね。」
        「雨は嫌いかい?ぼくは好きだけどね。
        晴れの日も曇りの日も、ぼくには見ることが出来ない。
        音や肌で感じれる雨の日だけが、ぼくが感じることが出来る天気だから。」
        「雨は嫌いではありません。
        昔、雨が上がった後の空にも楽しみがあると教えてくれた人がいました。」
       
        『ほら、マリア。虹が出ているわ。
        あなたも見においで。」
       
        覚えています。お母さん。
        雨の上がった日に、虹を見上げながら歌うお母さんの姿が何より好きでした。
        お父さんの膝の上はぼくの特等席。
        そして、お母さんと一緒に歌うのが何より好きでした。
        今はもう薄れかかっているけれど。
       
        「…おや?もう雨が止んだみたいだね。
        せっかく傘を差してきたが無駄だったみたいだ。」
        「いいじゃありませんか。濡れずにすみますから。」
        「まさにその通りだ。
        ぼくはともかく、きみに風邪を引かせるのはまずいしね。」
        「…別に気にすることなどないと思います。」
        「気にするよ。君はぼくにとって大事な人だから。」
       
         ああ、どうしてくれよう。
        近づかないで、踏み込まないで、そっとしておいて。
        それはとても無駄なこと。
        どんなに思いを寄せられようとも答えることなど出来ない。
        答えることは不可能だから。
        ぼくの心は凍り付いている。
        望んで自らそうした。
        そうしないと壊れてしまいそうだったから。
        何も聞かず、何も見えず、何も感じない。
        そうしていれば自分が傷つくことなどないから。
        頼むから、お願いだから。
        なにもしないで。
       
        フワリと何かが被さった。
        真っ黒のコート。
        あの人が着ているコート。
       
        「失念していたよ。君にはコートがなかったね。
        ついでに君の外出着も買っておこう。また必要になるだろう。」
        「別に…必要など。」
        「もらってくれないかな。マリアンヌ。
        ぼくがそうしたいんだ。」
        「…ありがとうございます。」
       
         嫌いじゃなかったよ。好きになれたかもしれない。
        あのときのぼくは子どもみたいで、ようやく与えられた優しさに怯えていたから。
        今は少なくとも理解できる。
        あのときの温もりをぼくは忘れない。
        いつか、きっと。あなたに謝りに行きます。
        そしてありがとうと伝えたい。
        あの時、ぼくを拾ってくれたあなたへ。

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