妹が死んだのは、もう十年も前のことになる。
年の離れた体の弱いたった一人の妹。初めて出来た妹をとてもかわいがった。
そして妹―時子もまた、雲仙にとてもなついてた。
だから、友人である時臣が清子のことを知るのも難しくなかった。
男女の接触がない時代とは言っても、雲仙の父親は体の弱い清子を心配し、むしろ外に出るのを推奨した。そして一人で過ごすことの少ない清子の話し相手になってくれと時臣を誘った。
だから三人で出かけたり、食事をすることはとても自然だった。
そしてある日、幼なじみであり親友でもある中臣は時子を妻にと望み、本人も了承した。

『ねえ、お兄様。本当に私で良いのかしら？
　あの人だったらもっとふさわしい人がいるわ。こんな病弱な娘にしなくたって…』
『あいつがお前を見初めたのは、その見舞ったときだって聞いたぞ。
熱出しても気丈に振る舞って自分は元気だと訴えてくる姿に惚れたとな。
俺相手というか、兄相手に堂々と惚気やがった。』
『まあ…あの方はそんなことを』
『俺としては、はやいとこ子どもの姿が見たいな。
最低でも男女１人ずつはいてほしい。子どもの顔を見に行けるしな』
『お兄様ったら！』
『ハハハ、いいじゃないか。幸せになれよ、時子』
『ええ、お約束致しますわ。お兄様』

二人は夫婦となり、幸せに暮らしていた。あの日がくるまでは。
時子が死んだと知らせてくれたのは、泰成だった。
普段は慌てるそぶりもせず、礼儀をきちんと守る泰成がその日は違った。
血相を変えて雲仙の職場にやってくると、青ざめた顔で言った。
―時子の霊をみた。
その言葉になんと答えたかはわからない。気がつくと駆け出していた。
今は、妹の所に行くしかない。
どうか無事であってほしい。何かの間違いであってほしい。
けれど、たどり着いた屋敷からかすかに匂う血の臭い。
知らせを聞いて、駆けつけてくれたのだろう。
蛇晃が門の前に立っていた。目が合うと“行くな”と聞こえた気がした。
それでも行こうと決めた。

『時子！中臣！どこだ！返事をしてくれ！！』

その日、伊勢神宮に行くと行っていた。
他に用事もあるので一度中臣の家に一泊してから向かうと。
土産話を持って帰ってくると、あんなに嬉しそうに話していたのに。
最初に見つけたのは中臣だった。薄暗い部屋の中に一人うずくまっている。

『中臣！時子は………っ！！！！』

まるで血の海のようだった。
中臣の元は山吹色の狩衣が真っ赤に染まっている。
そして視線を感じた。中臣の腕の中から、誰かがこっちを見ている。
朱色の衣、重ね合わせた橙色。ああ、覚えている。俺が買ってきた新しい衣。
それを纏っていたのはただ一人。血の気の失せた顔で、妙に綺麗な顔をした時子。
すでに光を失った瞳だけが、今もはっきりと覚えている。

『うわぁぁぁぁぁ～～～～～～～～～～！！！！』

どんな話をしたか全くわからない。
ただ、淡々と時子の葬儀は終わった。涙は出なかった。
葬儀が終わってから中臣が仕事を休んでいると聞き、会いに行ってようやく事の顛末を知った。
その日、仕事のため帰りが遅れた中臣は、屋敷が静まり帰っていたことに気づいた。
異変を感じて屋敷に入ってみると、使用人達が殺されていた。
そして時子は部屋の中で静かに息絶えていた。
金目の物がなくなっているため、強盗に襲われたのだろうと噂された。
今なお、犯人は捕まっていない。
不幸は続いた。
妹が死に、意気消沈していた両親はそれでもどうにか立ち直りつつあった。
父親は引退間近、母親は出家して妹を弔うことを望んでいた。
その矢先に病で倒れ、あっけなく逝ってしまった。
父はその穏やかな人柄故に、あまり高い地位を得ることが出来なかったが多くの友人達がその死を悼んだ。
相次ぐ家族の死は容赦なく雲仙を追いつめた。
そんな彼にある嫌疑がかけられた。―身内殺し。

『高敏、何もお前が出家することはない。嫌疑などすぐに晴れる』
『…主上、何も嫌疑故に出家するわけではありません。
亡き両親と妹の冥福を祈ろうと思います。どうか、出家させてください』
『高敏……』
『今思えば、両親の病は確かに奇妙でした。
下がることのない高熱、眠ると何かに魘され自らの喉をかきむしった。
あの時、私は思いました。こんなにも苦しむのならいっそ楽にしたほうがと。。
実行する前に、二人は亡くなりました』
『…それは』
『嫌疑などはどうでもいいのです。むしろ、あと一日、いや一刻、死ぬのが遅ければ実行していたでしょう。
身内殺しと言われても仕方のないことです。
死因が尋常ではない以上、呪殺を疑うのは当然。
ただ、両親や妹を殺した犯人よりも、何もしてやれなかった自分が憎い…っ！』
『それはお前のせいではない。お前が苦しめば、彼らも苦しむぞ』
『そうかもしれません。ですが、私はもうどうすればいいのかわかりません。
答えを探しに行こうと思います。死んだ彼らのために私が出来ることを。
主上、どうかお許しいただきたい』
『そうか…わかった。お前のやりたいようにやるがいい。』

源高敏が出家したのは、その翌日だった。
雲仙と名を変え、幾多の地を歩き回る。そして、十年の歳月が流れた。
今もなお、その答えは見つからない。

「世間では源家の怪死事件というらしい。
我が家族に起きた出来事ながら、世間の注目を浴びるには充分だ。
しかし騒がれたわりには、犯人が捕まることなく今に至るということよ。」
「あの霊は、随分長いことこの世にいるようじゃな。
よほどの未練があると見える」
「それだが、お前は本当に時子を見たのか？」
「死した者と話すなど簡単じゃが、あれ以来本人が話すことを拒否している。
霊として力はそれなりにあるようじゃが、今は無理じゃ。
もう少し経てば、向こうも警戒を弱めるとは思うがのう。」
「俺がやりましょうか？こちらは本職ですよ」
「無理じゃ、そなたとは話したくないそうじゃ。
今近寄っても攻撃されるだけ、今は見守っておくのが一番じゃ」
「残念だな。時子と話してみたかった」
「その時は妾が仲介してやるわ。妾もちゃんと話をしてみたい。」
「そうねえ。死者の思いは時として厄介になるわ。時間をおくのも１つの手。
でも残念ね、彼女なら十年前の犯人を知っているでしょうに。
源家に呪殺を依頼した犯人を」

シーンと辺りが静まりかえった。
ふと、目の前の男に目をやる。雲仙の顔に驚愕の表情は見あたらない。
その眼は、どこか悲しい眼をしていた。

「やはり、そうなんですか」
「巧妙すぎてね。呪殺は行われていても犯人がわからなかったのよ。
でも、最近妙に同じような気配を感じるのよね。ねえ、アキ」
「母上のおっしゃるとおりです。
最近の事件に、十年前と同じ術の気配がしました。
今までは巧妙に隠していたんでしょうが、最近は隠そうともしません。
それを元に、式神に犯人を追わせているところです」
「では、今回の事件は十年前の事件と関係していると言うことか」
「おそらくは」
「本当に血なまぐさい話じゃな。雲仙」
「どうした？」

目を合わせないように声をかけた。彼もうすうす気づいているはずのことを。
それでも、今も信じているのだろう。

「あの男、中臣が呪殺を依頼した奴じゃ」
「銀蘭！」

鋭い目がこちらを見る。けれど妾も引かない。
だってあの男は、もう壊れてしまっているから。
あの目を見たときにわかった。あれはこの世からはずれてしまった目。
生きながら鬼へと化した者。

「そなたとてわかっておるだろう。それでもなお、信じるというのか」
「儂は真実を知りたいだけだ。そして、時臣を信じている」
「ならばそなたは思うがままに行動するがいい。妾は止めぬ」

雲仙が何かを言いかけたとき、何かが倒れる音がした。
みると、泰成がお茶を倒していた。
けれどそれを気にすることなく、青ざめた表情を浮かべている。

「どうかしたのか？」
「…蛇晃の気配が消えた」

その時、大地が揺らいだ。