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閉ざされた心 後編

    “なに、よくある話だ。どこにでも転がっているありふれた悲劇”
    
      恋人が死んだとその人は言った。
     結婚を間近に控えたある日、任務で死んだらしい。
     その任務は、本来必要なものではなかった。
     自分が上に上がるために、邪魔者を消そうとした上司の一方的な任務。
     それに巻き込まれた。
     転落していくのは簡単だったとそういった。
     いつの間にか、夕日は沈んでいる。
    
    「さて…時間だな」
    
      彼はそう言うと、懐からクリスタルの入れ物を取り出した。
     手のひらにのるぐらいの小さな入れ物。
     けれど、それには精霊が封じ込められている。
     赤く揺らめく光を宿すクリスタルから、少しずつ炎が生まれていく。
     なんてきれいな炎。
     それを見たとき、今度は俺の懐から水音がした。
     ざわめき落ち着かない様子の優しい水。
    
    「そういや…お前と同類か?あっちの嬢ちゃん」
    
      その言葉と同時に俺のクリスタルから水がしたたり落ちる。
      水は形を成して一人の女性の姿を作る。
      蒼い海を思わせる長い髪を結うこともせずに足下におろす。
      薄い水色の瞳はうっすらと涙を浮かべ、瞳と同じ水色の衣が静かになびいた。
        
    「アクア、どうしたんだ?」
    「カディ…戦うの?」
    
      普段から泣き虫のくせに、今日は現れたとたん泣き出してくる。
      仕事の時は俺が呼ばないと出てこないってのに、なんで今にかぎって?
        
    「イリトと戦うの…やなの」
    「ああ…あいつか。大丈夫だ。なんとかするから」
    「…本当?」
    「俺がアクアに嘘をついたことないだろう」
    「…うん」
    
     正直、今のところ戦闘を回避する方法は思いつかないとは言えないけど。
     まああっちの出方だけど…なるべくなら殺したくはない。
      だってあの人も俺と同じだ。
        
「よしな」
「えっ?」
 
  俺の思考を遮るようにかけられた言葉は、彼…ジャックのものだった。
  視界の片隅で、少しずつ炎が揺らめいていく。
手のひら大だった大きさが、徐々に周りの空気を取り込んで赤く燃え上がっている。
  炎はやがて一人の青年の姿を形作る。紅蓮の髪に緋色の瞳。
    かつてアクアが教えてくれた。好んで人のところにいる炎の精霊のことを。
    
「炎の大精霊…そいつを従えているなら、わざわざこんなことをしなくたって…」
「それが出来たら苦労はなかったんだがな」
 
  炎の精霊は何かを言い足そうにジャックを見つめている。
けれど、その視線に答えることはなく、彼は俺に話し続けた。
 
「どこも似たようなもんだ。ハッピーエンドなんざ存在しない。
あるのは、どこかの誰かが死んで、どこかの誰かが殺して、どこかの誰かが得をする。
弱者は虐げられ奪われ、強者は虐げ奪う。それだけだ」
 
  なあ、一つ頼みがあるんだ。
 柔らかな風が吹き、そんな言葉を届ける。残酷な人だ。わかっていて、そんなことを言う。
 
「坊主、悪いが俺はもう疲れた。だから終わりにしてくれよ」
 
  目の前に広がるのは燃えさかる巨大な炎の輪。それはまっすぐに俺に向かってくる。
 驚きながらもアクアの力を借りて水を呼ぶ。水を四方へ広げその炎を消し、そして、水はまっすぐに術士の心臓を貫いた。
 “そこにいたんだな――”
 そんな声が聞こえたような気がした。けれど、気のせいだったかもしれない。
 倒れた男の周りから、少しずつ炎が広がっていく。赤く赤く揺らめく炎。それは男の体を包み込んだ。
 
「『長いつきあいだったな。好きなところへ行け』…か、ったくもうちょっと言い様はないのかよ。
まあいい。弔いの炎だ。ありがたく受け取りやがれ」
「リート!」
 
 まっすぐに駆け寄ったアクアが炎の精霊に抱きついている。
あいつが人見知りしないからそうとう仲がいいんだろうな。
 
「こいつ…ジャックのことは気にするな。長い悪夢からやっと解放されたんだ。お前は良いことをしたよ」
「…そうか」
 
 わかっている。あれはもう一人の俺。どうにかしようとあがいて、でもどうにも出来なくて。そしてすべてを諦めた。助けたかった。でも、わかってしまった。
 もう生きていたくないと。
 
「好きに生きろ…か、まったくどうしたもんだか…なあ、お前。ここに主が死んだ炎の精霊がいるんだが、いるか?」
 
 
 
「また精霊が増えたか。まったく、お前の弟子は何を考えている」
 
 机に報告書を取り出し、無造作に投げ捨てている。
私とて、まさか任務先で炎の精霊を従えてくるとは思いもしなかった。
 
「優しい子ですから精霊を引きつけるのでしょう」
「これで光と闇がそろったら最強の精霊術師も夢ではないな。すべての属性を持つ…まるで伝説の竜王の竜術士のようではないか」
「それはおとぎ話でしょう。竜の存在は確認されておりませんから」
「ほう、竜の研究をしている君の言葉とは思えんな」
「少なくとも現代では竜の存在は確認されておりません。それとも、おとぎ話を信じて世界をさまよってみますか?」
「竜の住まうコーセルテルか。存在していれば我らの良い戦力となったろうに」
「精霊だけではたりませぬかな」
「たりんよ」
 
 ニヤリと笑って言い放つ。それしかないのだと。
 
「今のままでは、一個人のみが強すぎると思わないかね?必要なのは突出した兵器ではなく。全体の質の向上。なにしろ、その兵器が“もし”我らに刃向かったら大変ではないか」
「…何をおっしゃりたいので」
「竜という新たな戦力を手に入れれず、一個人がさらなる力を身につけるのであるなら実に危険だ。実にな」
「カディオに…あの子になにをするつもりだ!!」
 
 思わず机をたたきどなりつける。それはだめだ。それだけはしてはいけない。
優しいあの子をこれ以上苦しめてはいけない。
 
「必要なのは個人の意志ではなく、忠実なる一つの兵器。さあ、命令だ。リカルド導師。
イルベス=カディオ術士の心を封じろ。消失ではないことを感謝するが良い」
「貴様…それでも人間か!」
「嫌ならかまわんよ?ただ、優秀な道具には余計な感情は不要だ。あの愚かな反逆者が想であったように、余計なことを考えるから刃向かう。しかし残念だ。イルベスが優秀な道具になれないというのなら、処分するしかないな」
「なっ……」
「そうであろう?我々の命を脅かす化け物など、いくら優秀でもそばにおいておけないからな」
 
 悲しまないでください。これできっとよかったんです。
 先生、最後まで心配してくれてありがとう。
 俺は、あなたの弟子でよかった。
 
 
そして、過去は終わりへと向かう。
 
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